クリエイティブシティを文化芸術の枠組みから解放せよ
ここまで、「データ駆動型スマートシティ」「スタートアップ拠点都市構想」に感じる違和感とその代替案を述べてきた。
繰り返しとなるが、前者は、日常生活における移動や買い物といったコモディティ的活動をAIやロボティクスが代替することによって新たに生じた余剰時間を、創造的活動に割り当てるべき。その際に我々に創発やインスピレーションを与えてくれる支援役としてテクノロジーが機能すべき。それが備わって初めて、高いクオリティ・オブ・ライフが実現する賢い都市の実現といえる。生活利便性の指数関数的達成だけを指してスマートシティとは言えない、と。
後者のスタートアップ拠点都市構想の方は、スタートアップ拠点都市のモデル地区を国内から選抜し、規制緩和策等のカンフル剤を投入しても、スタートアップたちが次から次へと誕生する、あるいは一か所に集積し相乗的アウトカムを量産する都市はできないだろう。なぜならそこに、彼らが好んで集まりたくなるクリエイティブな街の環境整備の視点が抜け落ちてるからだ。スタートアップ拠点を作るには、探求や創造、そのための衝突や共創の精神がコモンセンスの特区を作る必要がある。そこは、どちらかといえば協調性に欠け、自分の考えに没頭しやすく欲望に忠実であるがために閉じていながら、同時に達成のためには平気で開放性に富むといった神経質で面倒な連中が居心地がいいと感じる街だ。そこはまた、社会関係資本とは縁遠い代わりに創造資本に充ち満ちた特区でなければならない。それを政府であれ民間セクターであれ、計画的に作ることは容易ではない、と。
ここで、両者の抱える課題が、人間のクリエイティビティや創造的な都市に行き着くことに気づく。2002年に突如出現し世の中を席巻した、あのクリエイティブシティ政策だ。これまで、クリエイティブシティ政策は都市再生の有効打として世界中の各都市で採用されてきたが(2020年時点、ユネスコ認定の世界の創造都市は246都市)、改めてその定義を振り返ってみると、「創造都市とは、芸術文化の創造性を活かした都市再生の試み」とあり、あくまで文化芸術起点の都市再生手法であることがわかる。乱暴な言い方をすれば、美術館や博物館頼みの都市観光(集客)戦略だ。その証拠に同政策の管轄は観光行政を司る部署である自治体が少なくない。
本来、クリエイティビティとは、文化芸術の専売特許ではない。人間誰しもが有する基本的資質の一つであることは言うまでもない。そのクリエイティビティが、今ようやく、イノベーション等のビジネス開発や経済発展の分野、並びにクオリティ・オブ・ライフ(あるいは、ウエルビーイングやマインドフルネス)といった人間の幸福追求の分野で意識され始めた。いよいよクリエイティブシティの文化芸術の枠組みからの解放だ。 (2/2)に続く
text:吹田良平
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