text:吹田良平
緩やかな無秩序
「人はよほどの用がないと建物の上の階には登らない」。これは、ある日本のビジネススクール教授の弁。「だから、シリコンバレーには低層の建物が多い。日本でよくあるように高層ビルの途中階にイノベーション拠点を作っても、なかなか偶然の出会いは起きにくい」。また、生物科学を修めた友人は、「物質が広い範囲にバラバラに存在している状態では、物質と物質は出会いにくく化学反応は起きない」、「化学反応を起こすには、物質が出会いやすい濃縮された状態を作らなければいけない」と話してくれた。これが我々生き物の道理のようだ。
米国AT&Tの研究部門として設立され、これまで7つのノーベル賞を受賞したベル研究所(現ノキア傘下)が2016年にロンドンに建てたクリック研究所は、極力会議室の数を減らし、建物内の物理的壁と部署の壁を減らし、研究者間のヒエラルキーをなくし、その代りに極めて長い廊下と数多くのオープンスペースを設け、職員間の衝突を促した。
デルモンテの缶詰工場跡に建てられたピクサー・アニメーション・スタジオの場合、建物中央に大規模なアトリウム空間を設け、そこにわざわざ郵便受け、会議室、カフェテリアを設置して、スタッフの無作為な衝突が多発するよう仕向けた。
鳥の目と虫の目
2020年7月、内閣府はスタートアップ企業を育成し、企業数を今の倍の2800社に、ユニコーン企業を一か所あたり5社以上創出することを目標とした、「スタートアップ・エコシステム拠点都市」を8か所選定した。今後、規制緩和や等の集中支援を行っていく。同年2月の締め切り時の応募総数は約30件に及んだ。
ユニコーン企業を政策的に意図的に誕生させることは不可能なため(プロの目利きであるベンチャーキャピタルでも、その確率は1/10以下と言われる)、政府にできることは有望なスタートアップ企業が生まれやすい制度面での環境整備となる。その意味で、今回のように都市単位で対象エリアを定め、地図上に網を掛けるのはわかる。いわば鳥の目だ。一方、弊誌の興味は虫の目にある。
スタートアップ企業やそれらとの親和性の高い知識創造産業の担い手たちは、どのようなエートスを備えた街を好むのか。あるいは、彼らを集積させるためには、どのようなコモンセンスが必要なのかの解明だ。先述の生物科学者の言う「物質があっても、広い範囲にバラバラに存在している状態では、物質と物質は出会いにくく化学反応は起きない」からである。
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